
地方分権推進フォーラム’96 in“あおもり”
基調講演
『地方分権と地域文化の創造』(概要)
鈴木健二(熊本県立劇場館長)
●昭和63年7月に熊本県立劇場の運営を委嘱され、8月から県下の98市町村を半年かけて回り、町、村の人々とひざを交え、その地にどういう人材がいるのか、どういう文化があるのかくわしく尋ねた。そこで感動したのは、各地に残る、いわゆる伝承芸能であった。それはテレビの中には全く無い文化であり、日本人の心の根源に関わる文化であった。
●もうひとつ驚いたのは、子供のいない究極の状況に追いつめられた過疎の現実だった。あまりにも遅いが、今すぐ町おこし、村おこしが必要だと感じた。
しかしながら、地縁、血縁、そして水利で結びついた村を基本にした経済圏が、明治維新後の廃藩置県や太平洋戦争で大きな変化を余儀なくされ、さらに戦後の農業国から工業国への変貌、集合家族から核家族への移行に伴い、自分の町、自分の村を自分の手で治めるという意識や制度がほとんど発展せずにきた。その上、過疎だから何をしてもだめだというあきらめが、地方に充満している事実を私は直接眼にした。
●高齢化、後継者不足を経て、すでに子供がいないという現実に立たされているのに、行政は今頃高齢化対策をやっているという2段階も遅い状況にある。その大きな原因は役所の文書主義である。
飛鳥、大和の時代から、日本の行政はほとんどが役人の書く文書によって行われている。例えばある村に、「わが村には江戸時代から神楽が伝承されております」という文書があるとする。しかし、実際その村へ行くともう過疎で消滅しているか、あるいは全体の10分の1ぐらいしかできないのが現状である。にもかかわらずこの文書が保存会から役場に行き、役場は現場を見ないでそれを県庁に上げる。そして県庁からそのまま文化庁、文部省に上がることになる。こうした文書主義が、どの程度排除されるかが地方分権の大きな課題である。
●これから地方分権が進んだ場合、その一番の権力者は住民であるから、住民はあらゆることを知らなければならないので、情報公開が大きな問題となってくる。
一例をあげると、進駐軍は広島の原爆の様相をきっちりと記録にとっていたが、それが1960年まで公開されていなかった。この間に生じたのは西欧の原爆大国意識、核大国意識である。核があれば戦争を終わらせることができる、核がある国が強いのだという意識が、この悲惨な記録が公開されないうちに生まれてしまったのである。他庁、日本人は原爆症患者の悲惨な状況を見てきており、日本人の中には被害者意識ばかりができてきた。西欧の国々の人達が原爆が自分の身に降りかかるかもしれないという現実に気付き始めたの、1980年代に至ってからである。
このように、両者の間には大きな意識のズレができてしまっている。情報を正確に知らないということが、どんなに悲惨な状況を生んでしまうかを示すあまりにも切実な例である。
●地方分権が進み、県市町村が情報を大量に所有する時代になると、情報をどのように公開することができるかが、大きな課題となる。今までのように、いたずらに屋上屋を重ね、先例第一の文書主義に頼っていたのでは、情報の公開が遅くなってしまう。これから多くの情報が公開されるのとあわせて、こうした情報をもとにしてどういう施策を行っていくかを、知事、それから市町村長、県市町村の議員の皆さんたちが自分で判断しなければならない。地方分権が本格化すると、選挙で選ばれた議員の責務が非常に重要になってくる。ある部分は今まで国がやってくれたのを青森県自体で、さらには市町村で判断しなければならない。ここで